飲料水とトリハロメタン
                                              
                                              学校薬剤師会     山川晋二
 浄水器のテレビ宣伝でトリハロメタンと言う名を初めて聞いたのは、いつの頃であったろうか? 今ではすっかり聞き慣れた感がある。その実どういう物質なのか、どの様に体内に吸収されるのか、どの様な毒性を示すのか、トリハロメタンについて、問題となる飲料水について述べる。
 トリハロメタンについては発ガン性が報告されて、健康への影響が大きな
関心をひき問題となってきた。
現在は、水道水の飲料基準も定められ、削減の対策も大きく進んでいる。
トリハロメタンは、最も簡単な炭化水素であるメタンの4個の水素の内3個が
塩素、ヨウ素、臭素などのハロゲン原子で置換されたものである。トリハロメタン
には結合しているハロゲンにより10種ほどの物質があり、その中で水道水中に                  (図1)クロロホルム
もっとも多いのが、「クロロホルム」(図1)である。
 クロロホルムは医療分野で麻酔薬として使われる物質である。また、長期に摂取した場合、発ガン性を示す物質である事も確認されている。このような物質がなぜ水道水に存在するのか、疑問を持たれるところであるが、水道水中に生じるトリハロメタンは、天然に存在する有機物(フミン質)と消毒用の塩素が反応して生成される。この生成反応に関与する有機物でもっとも代表的な物質は、フミン酸(泥炭地着色水と言われる物の主成分)、フルボ酸類である。そのほか類似物質として、微生物群の代謝により生じる安定な代謝産物があり、これは屎尿処理場の廃水はもとより下水処理場の放流水中にも多く残存する。
トリハロメタンが現在のように水道水の安全にとって大きな問題として論じられる理由は、トリハロメタンが浄水処理の過程で生成する事である。トリハロメタンの生成は現行の浄水処理で安全の要として続けられてきた塩素消毒の塩素と、現行の浄水システムで除去しきれない有機物(有機炭素)が反応してトリハロメタンが生成するためである。もうひとつの理由は、これらの化合物が分析技術の向上で比較的容易に測定できるようになったことである。
   (T) 浄水処理のプロセス
  (@) 緩速ろ過方式 
 雨が地中に浸透するように砂の層をゆっくり水を通し、懸濁物質を砂でこし取る浄水方式で、現在多く用いられている急速ろ過方式と比べ、大きな面積が必要なことと、維持管理に多くの人手がかかることから、ほとんど使われなくなってきた浄水方式である。
 汚れた水を砂の層でこしてきれいな水にしようという試みは、雨が土壌に浸透してきれいな地下水になる事から、ごく自然に生まれた技術と言えよう。
 この浄水方法は最後に殺菌を行う3つの単位プロセスからなり、長時間の沈殿によって粗い懸濁物質を沈殿させた後、ゆっくりと残る微少成分を砂層のろ過で除去し、塩素消毒をする。
 ろ過を長く続けるにつれ砂層の上面に好気性の生物層{ゼラチン状の微生物の膜状のかたまり}ができる。この膜を水が通過する際に懸濁物質の補足と、有機物の分解などがおこなわれる。ここで消毒用の塩素投入であるが、生物膜を利用することから、前段で塩素を投入すると生物膜の生物が死滅するため、最終段階で投入する。このことから「後塩素処理」と呼ばれる。
 汚れのひどい原水をろ過すると、たちまちろ過膜が詰まってしまい、ろ過を継続が困難になるので汚れの少ない原水にしか用いえない。
  (A)急速ろ過方式 
 現在もっとも一般的に用いられている浄水方式で、凝集、フロック形成、沈殿、急速ろ過および殺菌の5つの単位プロセスより成る。まず、原水にポリ塩化アルミニウム等の凝集剤を添加し、汚れを集めて固め、ろ過および殺菌を行う。この時のろ過の速度が、緩速ろ過に対して10倍以上の高速で、ろ過を行うことから急速ろ過方式の名が付いた。
 戦後、塩素注入の強化は、消化器系伝染病を予防するのに決定的な効果を上げたが、同時に配水管内におけるマンガンの沈殿が新たに大きな問題となってきた。残留塩素がマンガンと反応して水道管内に蓄積し始めて、「黒い水」に悩まされることになった。そこで先に塩素を原水に添加し、鉄、マンガンを酸化し溶けないようにして、ろ過池内で除去する「前塩素処理」(初めに塩素を入れる)が広く用いられるようになった。
 経済成長とともに水の汚染が酷くなるにつれて、アンモニアの含有量が増え、また鉄、マンガンの除去、藻類などの特有の臭い、味の成分除去の目的をも兼ねて、前塩素処理が現在も多く用いられている。
しかし、このような前塩素の多用は、トリハロメタンなどの塩素化有機化合物を生成させることになり大きな問題とされるに至った。 
  (U) トリハロメタンの人体への影響
 トリハロメタンは揮発性を有するため、飲料水、食品などを介して口から摂取されるばかりではなく、大気中にも存在し、呼吸により肺から体内に吸収される事もある。
 トリハロメタン問題の起点であるクロロホルムの発ガン性は、米国国立ガン研究所によって腎臓ガン、肝臓ガンの発生が報告されている。トリハロメタンの中でも毒性について報告が多いのは、クロロホルムである。 クロロホルムは長期にわたり吸入した場合、うつ病状態、食欲不振、幻覚、運動失調、発声障害などの精神、神経症状が多発することも報告されている。また作業環境下で吸い込んだ作業員が、頭痛、吐き気、食欲減退を訴え、慢性的な中毒としては、脾臓の肥大、肝臓の肥大、血清酵素活性の増加ならびに脂肪肝などが確認された。
  (V) トリハロメタンの生成とその抑制
 さきに述べたように、水道水中のトリハロメタンは、フミン質などの有機物(自然の安定有機物)が、消毒のために入れた塩素と反応して生じる事から、浄水処理の有機物の除去を終了させてから塩素を作用させれば、トリハロメタンの生成が抑制されることになる。
そこで、有機物の除去をいかに完全に行うかが、トリハロメタン生成抑制の要となる。このことから現今の浄水方式で、凝集〜固液分離を主体として、必要に応じて活性炭吸着を行い、フミン質の除去をし、有機物量を最小にした上で、消毒の目的で塩素を加えている。
 しかし、現実の浄水場では、原水の汚染によるアンモニアや有機物、鉄、マンガンの除去のために、原水に塩素を添加する前塩素処理法を採用しているものがきわめて多い。 そこで、このような場合に塩素を沈殿とろ過の中間に注入し、凝集沈殿によってフミン質をできるだけ減少させておいて、鉄、マンガンの除去を目的とする、塩素酸化を行なうプロセスが提案され、「中塩素処理」としてトリハロメタン生成抑制のための有力な方式として用いられるようになった。

           


   (W) トリハロメタンの除去
 トリハロメタンの生成制御の第一の方法は、フミン質などを塩素を加える前に最大限に除去することであるが、それでもなお残留するフミン質などと塩素が反応して生じるトリハロメタンの濃度を低下させなければならないことが多い。水中のトリハロメタンの除去方法として、次の三つの方法が考えられる。
  @ 空気を吹き込み水より気散させての除去(曝気と煮沸)
  A 酸化剤による酸化分解(強力な酸化剤としてオゾン、二酸化塩素)
  B 吸着によって水より除去(活性炭素、合成樹脂)
 曝気法は、トリハロメタンを含む水に空気を吹き込み、水中のトリハロメタンを空気中に気散させ減少させようとする技術である。
 酸化分解による方法は、東京都でも「高度浄水処理」として、オゾン処理と生物活性炭吸着処理を組み合わせた浄水処理が行われてきている。 
 吸着除去では合成樹脂が利用されるが、活性炭以上の効果を持つものは少ない。活性炭による吸着処理は、粒状活性炭ろ過が多く用いられ、活性炭により、水道水中のトリハロメタンの低減を可能とするものであるが、比較的短期間で活性炭の再生が必要になる。  煮沸は水道の浄水過程では実用化されるものではないが、一般家庭で簡単に出来る良い除去法である。 
  (@) トリハロメタンの気散除去
 トリハロメタンの生成量は、原水の水質、水温、
pH、塩素添加量、塩素との接触時間などによって
さまざまに異なる。通常揮発性物質を含む水を煮
沸すると沸騰する前に水温が上昇するにつれて揮発
物質は次第に気散し、水からは減少する。図2にテ
トラクロロエチレンの除去の図を示す。テトラクロ
ロエチレンは加熱とともに減少を始め沸点近くなる
に従って急速に減少し、沸騰直前には1/4以下に
なり、30分の沸騰でほぼゼロになる。ところが、
クロロホルム(代表的トリハロメタン)は、これと
異なった挙動を示す。クロロホルムの含まれた水を
加熱すると、クロロホルムは、増加を始め(図3)
沸点近辺で急速に増加し、沸騰が始まると、急激に
減少し、10分の沸騰後には1/5程度になり、                            図2 テトラクロロエチレン
45分間の煮沸で、ほとんどゼロになってしまう。
 この実験は実際の水道水を用いて行っているので、
当初の水中にはクロロホルムとその中間体、未反応の
前駆物質(有機物質)と遊離残留塩素を含んでいる。
加熱を開始すると、クロロホルムは蒸発により減少し
始めるが、さらなる加熱により中間体の加水分解速度が
速くなり、クロロホルムが新たに生成される。
 さらに遊離残留塩素と前駆物質との新たな反応も促進
される結果、クロロホルムが生成することになる。
 このように沸点以前においてクロロホルム量の急速な
増加がみられるわけであるが、沸騰が始まると、中間体も
ほとんどクロロホルムになり、残留塩素も減少し、新しく
生成するクロロホルム量より蒸発による除去が大きくなり、
急激に減少し始めるのである。
 家庭で沸騰除去されるときに気をつけてほしい事は
換気である。クロロホルムは、揮発性を有するため、
呼吸によって体内に吸収されるので、やかんのフタを取り、
沸騰させるときは、必ず換気する必要がある。                              図3 クロロホルム
 前に述べたように家庭における煮沸は、トリハロメタン除去に
非常に有効である。一般的には15分以上の煮沸とされているが、
図3からわかるように、せめて5分でも沸騰除去した方がよいと思われる。
 以上述べたようにトリハロメタンは供給される水の安全を確保するために
入れられている消毒剤の塩素が、熱を加えられることによって、加熱前よりも
増加してしまう発ガン性物質である。幸いに加熱する事で簡単に除去する事が
可能であり、活性炭による浄水でも除去することが出来る。 
 水をより安全に飲むために水の特性を知って利用したいものである。

 終わりに、このレポートをまとめるに当たり、東京都水道局の担当係長に、
紙面をお借りして心より感謝申し上げます。